10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓

10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓

2015.08.22

LIVE REPORT

雨が降ろうが嵐になろうが、俺たちで朝日を引きずりだすぞ!

 「朝日を引きずり出す」ーー長渕剛が前人未到の山に向けて、口癖のように語っていた言葉だ。2015年8月22日、ふもとっぱら。この日のため、前回のホールツアー『HALL TOUR 2015 ‘ROAD TO FUJI’』中に作られた楽曲「富士の国」の20分に渡る大合唱の中、富士の右裾を覆っていた雲が晴れ、ついに太陽が姿をのぞかせた。

 「日が昇ったーーー!!」

 湧き上がる大歓声。開催前日まで、あいにく連日の雨模様だった。当日の予報、地元の人の予想も雨。実際、開演前はいつ雨が降ってもおかしくない空模様だった。だが、奇跡は起こった。いや、起こしたのだ。長渕と集まった10万人の想いが、エネルギーがそうさせたのだ。まさに「朝日を引きずり出した」という言葉がふさわしい瞬間だった。

 10万人が夜を徹して歌い、拳を突き上げ、泣いて、笑った、『長渕剛オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓』は、長渕剛にしか成し得ることができないであろう、壮大なスケールで行われ、想像を遥かに超える伝説となったのである。

広大な大自然に囲まれた会場

 シャトルバス延べ2000台にもおよぶ、全国各地より集まった剛ファンで埋め尽くされる乗降所。ここから会場までは徒歩。「長渕剛」「絆」…… 刺繍入りの特攻服、のぼりを掲げるファンもいる。約2kmの剛ファンの行軍ともいえる光景である。

 静岡県富士宮市〈ふもとっぱら〉。オートキャンプ場であるこの会場に足を踏み入れると、約500ヘクタールにおよぶ広大な敷地“富士のふもとの野っ原”が広がる。視界を遮るようなものは何もない。そんな大自然の中に、無機質にそびえ立つステージ。高さ約40mにおよぶ、左右対称のその巨大な造形は、富士の裾野のようであり、帆を広げた船のようでもあり、兜のようでもある。ただただ、そのスケールに圧倒される。

 場内には様々な趣向が凝らされている。氷に包まれた長渕本人の筆による『富士の国』詩画のインスタレーション。周りにはフラワーアーティストとしても活躍する悦子夫人の手による花々が生けてある。そして、ツアー中、長渕自らが料理を用意し、スタッフ一同に振る舞うのが恒例になっている『長渕食堂』の名を掲げた店では、「長渕家のベジカレー」「長渕家の煮しめ」「“TSUYOSHI NAGABUCHI”ロゴが焼き印された薩摩揚げ入りのきしめん」、フジテレビ『ごきげんよう』出演時に話題となった「長渕家黄金比率カルピス」など、本人秘伝のレシピがあった。

 巨大モニターには、ドキュメンタリー番組『富士山麓10万人ライヴへの道』と、特別協賛である第一興商(DAM)のカラオケが流れていたが、それを見ながら至るところで大合唱が起こるなどの風景が展開されていた。

 長渕ライブでお馴染みの光景といえば、ファンによる弾き語りだろう。この日、長渕が長年ステージで愛用しているタカミネギターのブースでは、本人使用モデルの展示と、『演るなら今しかねぇ!俺たちの剛ライブ2015 in 富士山麓』と題された入場者参加型ライブが行われていた。いつもは会場周りでギターを片手に歌うファンたちが、この特設ステージに立ち、“それぞれの長渕”を熱唱しているのである。

 このブースへの出演は事前応募によるものだったが、場内へのギターの持ち込みはOK。そこら中から歌が聞こえてくる。「上手い、似てる」など関係ない、誰でも好きなようにギターを抱えて歌うのである。ファンはみんな長渕剛が好きだが、それと同じくらいに“長渕剛の歌”が好きなのだ。今は充電式アンプなど、ストリートミュージシャン用の機材も充実し、ミニライブさながらの音響セットで本格的に真似るファンも多いが、昔はそんなものはなく、もっと気軽にギターを持って歌っていた。教則本やスコアだけでは知ることが出来ないギターテクニックの情報交換と、長渕について語り合う。筆者も昔、チケットを持っていないのに、ギター片手によくライブ会場に行ったものだ。そんなことを思い出した“ピースフル”な空間だった。

 「桜剛会」「剛友会」「剛魂絆会」…… 鹿児島支部、福岡支部……、全国各地の私設ファンクラブのみなさんによる決起集会も行われていた。各々がのぼりや旗を掲げる光景はまさに戦の前夜である。時代劇の合戦シーンなどでも使用されるこの会場。全国より集いし10万、まさに関ヶ原ならぬ、“いざ、ふもとっぱら”である。

バンド、弾き語り、懐かしい歌、濃厚な<1部>

 午後8時38分、流れていたBGMが突如止み、照明が消えると、夜空に花火が上がる。花火大会さながらのスケール感。そして、地元団体による和太鼓と神輿が客席とステージの間を練り歩き、オープニングを飾った。すると、上空には1機のヘリが低空飛行をしながら会場を見回すように、煽るように何周も旋回する。「あれに剛が乗っている」、会場にいる誰もがそう思ったとき、ステージ下手後方に着陸。

 日米混合バンドのメンバーを従え、ギターを抱えた長渕が降り立った。湧き上がる「剛コール」……、のはずが、映画のワンシーンのような登場とモニター越しに映し出される長渕の姿からみなぎる気迫に度肝を抜かれ、コールすら忘れてしまうほど唖然とする会場。

 無言でステージに仁王立ちする長渕。会場を見渡し、客席に向かってゆっくり指さすと、深く息を吸い込む。「ウォホホッ、」の野太い一声、「JAPANーーーーー!!」一斉に襲いかかる音の洪水。カウントも合図もない、一糸乱れぬタイミングだ。ステージから一気に放たれる音と閃光を受けて、一斉に突き上げられる10万人の拳と歓声。

 これから長くなるであろう夜は「JAPAN」で口火が切られた。同曲は1991年、全編LAで現地ミュージシャンとともにレコーディングされたアルバムのタイトル曲であり、湾岸戦争の情景を歌った歌だ。あれから24年、幾度となく歌われてきた。そしてこの日、日米混合バンドで日本一の富士の麓で演奏する、それは、常に「日本の誇り」を掲げてきた長渕のひとつの完成形でもあるだろう。

 重厚なリズムの「GO STRAGHT」、原曲よりテンポを落としたことにより、軽快なメロディーが際立つ「SHA-LA-LA」へと続く。久々のナンバー「ひまわり」では大きくそびえ立つLEDビジョン全面がひまわり畑になった。

 「懐かしい歌を」と紹介したのは「裸足のまんまで」。〈俺は俺を信じてやる〉と歌い上げたあと、「俺は君を信じて、君は俺を信じて、ここまでやって来れたんだよねぇ!」と叫んだ。長渕ギターの真髄、多くのギターキッズを虜にした高速スリーフィンガー。〈夏もそろそろ終わりねと君が言う~〉8月の終わりに富士の麓で聴く「夏祭り」は絶品である。

 バンドは昨年のアリーナツアー『ARENA TOUR 2014 ALLTIME BEST』と同じメンバー。ザ・フーのツアー参加のため、前回のホールツアーではやむを得ず不参加となったローレン・ゴールド(Key)がいる。「泣いてチンピラ」で「アメリカから連れてきたマブダチ」と長渕が紹介すると、ハーモニカとオルガンの激しいバトルが始まる。「もっとこい、もっとこい」と煽るように吹き狂う長渕のハーモニカに、必死に喰らいついていくローレン。ソロ・アーティストとサポート・キーボーディストでもなければ、日本人とアメリカ人でもない、同じ、いちミュージシャン同士としての真剣勝負だ。

 1部のラストとなったのは「勇次」。10万人のクラッカーが鳴らされる。85年のリリース以来、かかさずライブで歌われてきた曲。長渕の人生において影響を与えた実在する友人の歌だ。終盤「信頼、信頼、信頼、……」何度も何度も噛みしめるように口にする。涙ながら「勇次が教えてくれた“信頼”を大事に生きてきた」アドリブのメッセージを集まった観衆への感謝の言葉に変える。「おまえらが主役だーーー!」ぼろぼろに男泣きしながらの「勇次」は20分に渡った。

  ツアーファイナルのラストを想わせる光景の中、新旧織りまぜた楽曲をバンドサウンドと弾き語り、両方の魅力を存分に魅せつけた1部 は幕を閉じた。時刻は23時半になろうとしていた。

“静”と“動”で魅了した<2部>

 日米混合バンドがもたらした影響は大きい。フォーク・ロックの印象が強かった長渕楽曲だが、重厚なバンドサウンドに支えられた、トラディショナルなアメリカン・ロックへと変貌した。その代表ともいえるのが「とんぼ」だろう。歌い出すまで何の曲か解らない。それは決して懐古で終わらせない進化を求める形でもあり、何より、バックバンドではない、“一つのバンド”であることの証明でもある。二回の全国ツアーを重ね、バンドはより強靭なものになったのだ。
(参考記事:長渕剛のライブには何が込められているのか 富士山麓「10万人オールナイト」への前哨戦レポ
http://realsound.jp/2015/04/post-2977.html

 木魚に合わせた巧みな言葉遊びによる独特な和製リズムが印象的な「三羽ガラス」だが、ホワイト・ブルース調にリアレンジされている。Ichiro、ピーター・ソーン、2人のギタリストがむせび泣くブルージーなギターがたまらない。今回、久々に歌われる楽曲も多かったが、オフィシャルサイトでは『富士で聞きたいあの名曲!緊急ファン投票!』が事前に行われていた。それとは別に、この日に携わるスタッフによるリクエスト投票も行われていたという。

 長渕にとって初のテレビレギュラー番組『ブチまけろ!炎の魂 - 長渕炎陣 -』(BSフジ)にも登場していた沖縄出身の女性シンガー・ソングライター、Maikoが呼び込まれる。「てぃんさぐぬ花」で美声を響かせ、続いて剛ファンにはお馴染みの般若と、同じく『長渕炎陣』での異端っぷりが話題になった、輪入道という2人のラッパーが登場。政治メッセージ色の強いリリックには賛否両論あるかとは思うが、この異色なコラボレーションによる「家族」は、唯一無二の混沌としたカオスティックな世界観の音楽を轟かせていた。

 東日本大震災の被災地であり、原発事故に見舞われた、福島県浪江町の情景を綴った「カモメ」、震災によって忘れかけていた大切なモノを気付かせてくれた「ひとつ」。そこからの「しあわせになろうよ」大合唱の流れは、10万人の心がまさにひとつになった瞬間だった。

 上京者にとってはたまらない「東京青春朝焼物語」、燃えたぎるような「桜島 SAKURAJIMA」で、会場のボルテージが最高潮に達するのを表すかのように、特効とLEDビジョンに映し出される炎が会場全体を真っ赤に染め上げる。冷めやらぬ興奮状態を抑えるかのように「メニューにはない曲」ということで「巡恋歌」をギター1本で熱唱し、2部は終了した。

古くからのファンにはたまらなかった<3部>

夜も深まった午前3時。オープンカーに乗り込んで場内を走りながらの「絆 -KIZUNA-」で<3部>は幕を開けた。そのまま、客席にせり出した中央ステージでの、Dチューニングギターの幻想的なしらべ「LONG LONG TIME AGO」、大合唱の「乾杯」。「CLOSE YOUR EYES」をしっとりと歌い上げ、「シェリー」へ。〈おまえは風になる〉なだらかなアルペジオと優しい歌声とともに、夜風が心地よい最高のシチュエーションである。

 作品/ライブともに、近年長渕を裏で支えている関淳二郎がステージに呼び込まれると、「俺がまだ周囲とケンカばっかりしてた頃でさ……、」長渕が語り始める。「ツネ、命、大事にしろよ」、ドラマ『とんぼ』の小川英二だ。上京してきた交通整理をする青年に「兄ちゃん、国どこだ?(東北です……)少ないけど、これで美味いもんでも食えよ」と、あの名シーンを再現する。「長渕剛と小川英二ってのは、一心同体なんだよ」。古くからのファンにはたまらない演出だ。

 「その『とんぼ』の頃の~」と紹介されたのは笛吹利明。82年リリースのアルバム『時代は僕に雨を降らしてる』収録の「交差点」を共同アレンジしたことで親交を深め、87年の『LICENCE』ツアーより、本格的にギタリスト兼バンドマスターとして参加した。以降アレンジャーとしても長渕を支え続けた盟友であり、戦友である。2004年の『桜島オールナイトコンサート』を以て第一線のステージから離れたものの、サウンド・ディレクター(音響監督)として幾度となくツアーに携わってきた。ギタリストとして長渕とステージで共演するのは2009年の『ACOUSTIC LIVE 30th Anniversary』にゲスト出演して以来、実に6年ぶりとなる。そんな長渕を支える2人の名ギタリストで贈るのは「鶴になった父ちゃん」。長渕の父が旅立ったとき書かれた曲である。想えば、笛吹と同時期に長渕バンドのリード・ギターを務めた矢島賢が今年4月に亡くなった。デビューの頃と、そして桜島オールナイトでもコーラスとして参加した高橋ジャッキー香代子も2013年に亡くなっている。この日、言及したわけではないが、笛吹の優しく伸びやかギターソロを聴きながら、そんなことを想い出す。夜空に何本もの光の筋が舞い、曇り空ながらも、夏の夜空にオリオン座がまばゆく光っていた。

ワンマンライブを超えた“巨大野外フェス”

 今回のライブは、大自然に囲まれた立地と、そのスケールの大きさからワンマン・ライブを超えた国内最大級の巨大野外フェスの様相である。先述の『長渕食堂』をはじめ、会場を取り囲むように全国のご当地名店からB級グルメ、120店舗にもおよぶフードエリアが並び、その前、指定ブロック席後方には広大なフリーエリアが広がる。なだらかな傾斜になっているこのエリアは、椅子やレジャーシートも使用可能となっており、ここに寝そべって、会場の全景を眺めながら長渕の歌を聴くのも格別。むしろこの桁外れなスケールを味わうには、ここから眺めるのが一番だった。普段より、長渕本人が会場の隅から隅までチェックする国内最高峰の音響は、この尋常じゃない規模でも存分に発揮されている。フリーエリア後方にいても、歌はもちろん、バンドサウンドに埋もれることなくアコースティックギターのアルペジオの一本一本の弦の音まで鮮明に聴き取ることが出来る。

10万人が朝日を引きずり出した<4部>

 午前4時45分。辺りが明るくなってきた。あいにく空は雲に覆われている。あるはずの山の姿は、そこにはない。夜明けを向かえる4部は「明日をくだせえ」で始まった。原曲に忠実なアレンジの乾いたウエストコーストサウンドが心地よい「しゃぼん玉」、雲の隙間から富士が頭をのぞかせる。

 屈指の名バラード「Myself」が終わると、先ほどまで覆っていた雲が一気に晴れ、“霊峰・富士”が朝日に照らされながら、そのすべての姿をあらわにした。

「やったぜ! まずは、富士だぁぁぁぁ!!」

長渕が叫ぶ。

「陽が、陽がみえたぞ、昨日までずっと雨だったんだよ。もうどうしようかと思った。ここ全部ぬかるみでよ、でもみんなの力がひとつになった……」

 ありったけの力を振り絞るかのように「富士の国」が始まる。楽曲の尺など存在しない間奏では、Ichiroとピーターの壮絶なギターバトルが繰り広げられる。

「空よ! 山よ! 風よ! おれたちの、声が聴こえるか!」

「昇るか、昇らねえか、どっちかだ! 朝日を引きずり出すぞ! みんなで!」

「おい、宮崎!LEDを消してくれよ! ニセモノが見たいんじゃないんだよ! 太陽を見たいんだよ!」

「Wow~ Wow~」長渕とともに延々と繰り返される10万人の歌声は、もはや大合唱というよりも絶叫に近い。

「まだかーー!! まだかーー!!」

  ついに、雲の隙間から太陽がその光とともにステージと10万人を照らした。

「日が昇ったぁぁぁぁぁ! 日が昇ったぁぁぁぁぁ!」

  ふもとっぱらに集まった10万人、それを見守るように富士がそびえ立つ。そこから溢れんばかりの朝陽が差し込む情景は、絶景を通りこし た美しさである。

「富士よっ! 聞こえるかっ! 俺たちをしあわせにしてくれっ! 争いのない世界にしてくれっ! 俺たちみんなをしあわせにしてくれぇぇぇ!!」

 6時半を過ぎようとしていた。44曲目、正真正銘最後の曲となった「明日へ続く道」。降り注がれる朝陽を背に〈明日への用意をしよう〉と優しく歌う。スタートから約9時間半におよんだ長い長い伝説の夜が終わった。

 満身創痍ーー。と言いたいところだが、とうの長渕の声はまったく枯れていない。むしろ、「今度はあの太陽を沈めるぞー!」なんて、今にも5部が始まりそうに思えるくらい、とんでもないアーティスト・長渕剛の姿がそこにあった。

ーー「すごい」の三文字ね、それを色んな人に言わせたい。そこに集まる連中たちへ向けられる最高の三文字を僕はつくりたいんです。

(参考記事:長渕剛が語る、命がけで表現するということ「本気でかかってくる者には、逃げるか、行くかしかない」
http://realsound.jp/2014/12/post-2067.html

〈長渕剛オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓〉はまさに「すごい」。この三文字に尽きた。

・地元のみなさんの協力によって作られた快適な空間

 ネット上にはあることないこと書かれているようだが、野外イベントとしてはこの上ない快適さだった。フードの充実さ、救護施設、虫よけスプレーなども無償で提供されていた。そして、この壮大なライブを支えた裏には、地元民のみなさんの協力が大きかったことを付け加えておきたい。場内各所に設置された「エコステーション」は、いわばゴミ分別の場所であり、手際よくスタッフが分別の指示をしてくれる。800基の仮設トイレも空いたところをスタッフが案内し、定期的に清掃チェックが入るので、心地よく使用できた。それを担っていたのが赤いTシャツを着た地元ボランティアスタッフのみなさんである。実際にボランティアで参加していた女性スタッフ(30代)の方に、直接話を伺うことが出来た。特に「剛ファン」というわけでもなかったらしい。

 「当初は地元民も不安を口にすることが多かったけど、長渕さん本人が直接何度も足を運んで打ち合わせに参加していたことが大きい。長渕さんのことをよく知らなかった人も、みんな口々に『あのおっちゃん(長渕)すげぇな!』って言ってたので(笑)。ご本人の本気が伝わったんだと思います。私も豪胆なイメージを勝手に持ってたんですけど、実は意外と繊細だったり。魅力的な人だと今回はじめて気付きました」普段からライブの演出はもちろん、心地よくライブを観られるようにと、開演前後の注意事項アナウンスの声のトーンまで自ら指示する長渕らしい逸話である。ゴミやトイレ管理は地元の産廃業者の徹底指導の下、制作スタッフとは別に総勢100名におよぶボランティアスタッフが働いていたそうだ。

 桜島オールナイト、富士山オールナイトという、とてつもない伝説を作り上げた長渕剛は、今後どこに行くのだろうか。開催前より「オールナイトをやるのは今回が最後」と公言していたため、様々な勝手な憶測も囁かれてるようだが、あそこに集まった10万人は聴いたはずだ、長渕がステージから去るときに最後に残した言葉を。

「これからもまだまだいくぞーーーー!ありがとーーーーー!」

 来年は還暦を迎える、長渕剛。これからも我々の心を揺さぶり続けるのだろう。

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